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謡曲「芦刈」を題材にした芦刈山の御神体

老翁の姿で能衣装に水衣をはおり、懐に中啓(ちゅうけい、末広の扇子)、右手に鎌を左手に芦を1本持ち、芦原に立つ姿で、緋羅紗(ひらしゃ)をかけた山籠(やまかご)に真松を立て、梢近くに掛けた金色の三日月を背景に秋の薄暮れを表しています。御神体の旧衣装の小袖は、山鉾最古のものです。

御神体の小袖(重要文化財)

重要文化財
綾地締切蝶牡丹文片身替小袖

  • 重要文化財小袖1
  • 重要文化財小袖2

重要文化財の復元新調
綾地締切蝶牡丹文片身替小袖

  • 重要文化財小袖1
  • 重要文化財小袖2


伝信長拝領の重文小袖 復元新調
 

衣類入日記

この小袖は、昭和39年(1964)町内の芦刈山収蔵庫の長持ちの底からかなり傷んだ状態で発見されました。昭和45年(1970)重要文化財に指定され、昭和49年(1974)に修理したところ、左襟裏の麻地に<天正十七年(1589)己丑(つちのとうし)年六月吉日>の墨書が見つかりました。6月ということは祇園御霊会用に寄進された可能性が考えられます。町内には織田信長拝領の小袖があると伝えられてきましたが、天正10年(1582)本能寺で亡くなっているので、信長本人ではなくても、その親族縁者から寄進された可能性は残されています。

桃山時代から幾度か仕立て直しを繰り返したようですが、痛みが激しくなってきたため、考証の上、当初の姿に復元新調することになり、令和4年(2022)株式会社龍村美術織物にて製作しました。

いつ頃までこの重文小袖を御神体に着せていたのかは定かではありませんが、明治2年(1869)の『衣類入日記』には6番目に<綾地緞子段織小袖一枚>とあり、その存在が確認できます。しかし明治9年(1876)の『八坂社私祭会鉾車山車所属品目録及由来書』には記載がありません。また重文指定を受ける前の昭和44年(1969)京都市文化観光局文化課編の『祇園祭山鉾由来及びその他附属品目録第1集(16基分)』には<蝶牡丹文片身替段綾目小袖>と<萠黃白段綾牡丹に蝶模様小袖>と、なぜか2種類の名称があり、「山鉾の中でも最古の衣装である」と記載されています。

昭和49年(1974)以降、京都国立博物館に寄託していることから、祇園祭の宵山期間(7月14日から16日)だけ、町内に戻り、芦刈山の会所飾りの目玉として衣桁にかけた姿で、宵山に訪れる見物客の目を楽しませてきました。
年に一度とはいえ、空調設備のないお飾り宅で展示しておりましたが、肩口がガーゼ状にすり減り、衣桁にかけるだけでも小袖自体の重みで生地が裂ける可能性があり、数年前からはやむを得ず、博物館から持ち帰った箱に折りたたんだ状態で展示していました。

5年ほど前、重文小袖の復元新調をしようという声が町内にあがり、京都国立博物館の山川先生のご教示をいただき、祇園祭山鉾連合会へ申請書を提出しました。ようやく2021年度になり、小袖の復元新調検討会と称して、コロナ禍のなか、主に京都国立博物館の地下収蔵室で人数制限を設けて専門委員の先生、文化庁、京都府文化財保護課、京都市文化財保護課、祇園祭山鉾連合会、そして株式会社龍村美術織物、芦刈山保存会の役員が数回集まり議論を重ねました。2022年の年明けには株式会社龍村美術織物の工場にて、小袖の復元新調の工程を確認しました。小袖の復元新調とともに水衣も新調しました。来年度に向けて、この小袖と水衣に合わせた大口袴も新調する予定です。

最終的な色選択は芦刈山保存会に一任されましたが、織り上がっていく色の組み合わせを見ると、オリジナルの色彩との違いに驚くばかりで、最初は不安を禁じ得ませんでした。これが桃山時代の色彩感覚・美意識、すなわち桃山ルネサンスの果実なのか... まさしくシスティーナ礼拝堂の煤まみれの天井画を洗浄・修復したあとに甦ったミケランジェロのオリジナルな色彩が現れたときの驚きです。重文小袖の色構成そのものも実に大胆で華やかでしたが、さらに輪をかけて優しさにあふれた鮮やかな色調が現れたのです。この小袖の復元新調事業は、現代の日本人が忘れかけていた美意識を再び呼び覚ましてくれるいい機会になりました。祇園祭にかかわるということは、こういうこと、つまり日本の心を再発見することだと実感したしだいです。

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復元新調過程
重要文化財小袖復元新調

 

 毎年7月、祇園祭が訪れるたびに、七夕の織姫と彦星が出会うように、年に一度だけ芦刈山町内に里帰りしてくれた重文小袖。天正17年から430年を経て、ようやく復元新調されて元の輝きを取り戻しました。新しいレプリカにバトンタッチすることで、今後は誰にも煩わされることなく、博物館の収蔵庫の片隅で、静かにそして安全に余生を過ごすことができるようになりました。「今まで長らくありがとう、重文小袖。今後はゆっくり休んでください」と感謝の気持ちでいっぱいです。

新調された小袖は、2022年7月14日よりお飾り宅にて公開予定です。

京都国立博物館 山川暁 学芸部・企画工芸室長の解説をいただきました。

復元新調解説

御神体の小袖(その他の小袖)

黄地丁字唐草文様

現在、紺地亀甲龍鳳凰文様の下に着用

黄地丁字唐草文様

紺地亀甲龍鳳凰文様

現在、水衣の下に着用している小袖

紺地亀甲龍鳳凰文様
昭和32年
小袖 獅子蜀江文様 繻珍錦

獅子蜀江文様 繻珍錦

現在は損傷が激しいため、使用されていません。

獅子蜀江文様 繻珍錦
江戸期
御頭は2種類あり、天文6年(1537)七条大仏師康運作の銘がある本頭(ほんがしら)と、江戸期に作られた写頭(うつしがしら)があり、平成14年(2002)共に修理しました。以後、巡行には写頭が使われ、本頭は永久保存とし、宵山のお飾り宅だけで見学可能です。(墨書銘「運慶子孫七条大佛師 式部卿法印康運 天文六年丁酉六月二日 造之」)

御神体の水衣・袴

小袖の上に水衣を羽織っています。現在の水衣は昭和50年代後半に新調されたもので、大正8年(1919)から改められたものです。その他、天保2年(1831)、享保13年(1728)の同系色同型のものも残されています。

現存する大口袴は3種類あり、同系色の2点「紺地雲龍文様綾地金襴」(現行)、「紺地襷菊花文様綾地金襴」の他に「花樹繁文様インド更紗」を裏地に配した「白地立涌花文様綾地金襴」があります。

萌葱紗

現在、小袖の上に着用

萌葱紗

紺地雲龍文様
綾地金襴 大口

現在、着用している袴

紺地雲龍文様
綾地金襴 大口
白地立涌花文様

白地立涌花文様 綾地金襴

白地立涌花文様 綾地金襴
裏:花樹繋文様インド更紗

御神体の小物

芦 - 御神体が左手に握る芦は、正絹の造花で昭和45年(1970)に新調されました。同じく欄縁の上にも正絹の芦の造花を挿して巡行します。
鎌 - 御神体が右手に握る金メッキの鎌は、平成17年(2005)、刃の部分のみ新調されました。同じく山の松の上にかかる三日月も、この時に新調されましたが、記録によると昔は金色ではなく銀色だったようです。
中啓 - 折りたたんだ時に上端がイチョウの葉のように広がる扇で、半(中)ば開(啓)いて見えるのでこの様に呼びます。御神体の胸元に挿します。
腰帯 - 腰帯は前垂と後帯「紺地龍木瓜巴文様刺繍」(昭和61年、1986年)の他に「紫唐草鳳龍金襴」(平成20年、2008年)、「紺地雲龍文様金襴」(文化12年、1815年)があります。

御神体の芦

御神体の芦

昭和45年(1970)

御神体の鎌

平成17年(2005)修復

御神体の帯

前垂と後帯
「紺地龍木瓜巴文様刺繍」

御神体の帯
昭和61年(1986)

御神体の中啓

(ちゅうけい)

中啓